これだけ大きな震災になった以上被災者が続出し、大量の仮設住宅が必要になるでしょう。その仮設住宅は、毎日テレビから流れ出てくる映像の瓦礫の山と同じように、数年で廃棄されることを運命づけられて作られます。建築屋としてこの状況に何もできず指をくわえて見ているしかないのか、自問自答していました。やはり、開発しかけた接着剤レスの集成材で、解体と再使用が容易な部材で構成された仮設住宅を、何とかして提案だけでも用意しなければならないと思いました。開発しかけた構想のバトンを返された以上、それをどうにか形にして返さないといけない。その使命感でいっぱいでした。
30mmの板が105㎜角の柱材になり、それを立て並べ、900幅の無垢のパネルにするところまでは変わらない。臍穴を開けて貫材(21×90)で貫くのは摩擦が大きくて貫材が入らない。30角の棒ではどうかと試してみました。それだと途中で折れそうです。折れないようにするには、ボルトで貫き、両脇から締め固める方が加工が楽でいい。しかしボルトを通すとなると、穴に遊びがないと通せない。遊びがあると105角の各角材間にずれが生じて、筋交い代わりの耐力を担うことはできない。材と材がずれないように、各角材間に16φのダボを90㎜程度に切って500㎜ピッチに咬ませ、ずれなくする仕掛けが必要です。とりあえずその方法で接着剤レスの角材連結パネル(約幅900mm厚み105㎜高さ2.5m)の集成材とするのがいいのではとなりました。そのダボを咬ませたパネル上下に左右から各角材に開けた15φの穴に12φのボルトを通して締め付け、そのボルトを羽子板金物の羽子板に通し、それで土台と桁に引き寄せ固定すれば良いのではと考えました。
その場合、柱と一体のパネルとするのか、それとも各柱は独立して建て、それと別に筋交い替わりにボルトで連結したパネルを柱の間に挿入するのが良いか迷いました。柱一体では出隅の場合羽子板ボルトがはみ出てしまいます。入隅や交差部も複雑になります。耐力は少なくなりますが柱と縁を切って、筋交い代わりで、耐力を担うだけのパネルとすると種類が一つですみます。それで行こう、となりました。羽子板ボルトを外せばパネルは容易に外して取り出せ、再使用できます。
そのパネルで構成された仮設住宅の間取りを考えて、その案を懐に、盛岡でレンタカーを借り、宮古市を起点に被災地を見て回り、集成材のDEWS工法でお世話になった住田町の三陸木材に寄り、その上で山大の工場を見舞いに行くことにしました。11年4月14日のことでした。
開発物語